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この現状をどうすればいいのか。私たちは考えました。必死に考えました。世の中が悪い、と言うのは簡単です。では、その世の中をどうすれば変えることができるのでしょうか。私たちは、原因は障害者自身の側にもあると考えました。もう少し正確に言えば、障害者とその家族、そして関係者の側にあると考えました。
何故ならば、当事者が声を大にし、具体的な行動を起こさない限り、問題は解決しないからです。「かけがえのない人生を人間らしく生きたい」と、何故言えないのでしょうか。「どうして、我々は何時までも大部屋なのだ」と。
私たちはそう言えない原因は自信がないからだと思いました。障害者は自分に自信がないのです。親は障害を持つ子どもに自信がないのです。関係者も同じです。では何故、自信がないのでしょうか。どうすれば、自信を持つことができるのでしょうか。
私たちが出した結論は、「働く」ことでした。例えば、一緒に暮らしている甥や姪は一日中家にいて、テレビを見たり、本を読んだり、日がな一日家でごろごろしている姿を見れば、「お父さんやお母さんは働きに行っているのに、叔父さんはどうして遊んでばかりいるの」と見るのは当然です。
どんなに理解がある家族でも、何時もいい顔ばかりはできないでしょう。時には、皮肉が口をついて出るかも知れません。そんな、生活から自信が生まれるでしょうか。そんな生活から、周囲の人の障害者に対する理解が深まるでしょうか。
私たちは、どんなに障害が重くとも、働くことを生活の中にしっかりと位置づけなければならないと考えるようになりました。朝、「行ってきます」と家を出て、夕方「ただいま」と家に帰る生活はごく当たり前の生活です。生活の糧を得るために働くのも当たり前のことです。この働くという当たり前のことを障害者から奪ってしまうことが、その他の当たり前のことまで奪ってしまうことにつながってしまいます。
確かに、心身に障害があるということは、仕事をする上で様々な支障があるかもしれません。しかし、大事なのは現実に困難さがあるから働くことをあきらめるのではなく、どうすれば働くことができるようになるかを考えることだと思います。
人類が働くことを通して進歩してきたことを考えても、働くことは人間にとって最も基本的な権利であり、人間として生きるために必要な活動であるといえます。
働くことができれば、職場では働く仲間ができ、通勤途上でも多くの人と出会います。仕事を通して外部の人との接触も生まれます。しっかり生きていれば、少々歩く姿が不恰好でも、少々応対がぎこちなくとも、生産が少々劣っても一人の人間としての障害者を理解してくれるはずです。
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