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はらからのあゆみ

私たちの理念 ~ はらからにかけた願い ~

この世に生を受けた限り同じ人間

昭和五十四年四月、宮城県高等学校教職員組合の船岡養護学校分会は、障害者とその家族、教職員や地域の人々に呼びかけて「柴田町障害児者の問題を話し合う会」(略称・話し合う会)を発足させました。

この話し合う会が現在の「はらから福祉会」の前身になりました。従って、はらからの考え方は「話し合う会」から、現在に至る活動の中から生み出されたものです。

話し合う会の活動の一環として、昭和五十六年から翌年にかけ、私たちは宮城県柴田町内に住む重度の障害者を訪ねました。そこで見たのは、四十歳から五十歳代の重度の障害者が、社会に気兼ねし、さらには自分の家族にすら遠慮しながらひっそりと暮らす姿でした。

ある人は部屋から双眼鏡で通りを眺めて気を紛らし、ある人は朝起きたらまず家族の顔色を伺い、その様子を見て自分の一日の行動を決めるといったように。私たちが、特に気になったのは、「じろじろ見る人の目が気になる」とか「もうこれ以上迷惑はかけられない」ということから、すっかり自分の人生をあきらめていることでした。

ある身体障害の方は、「遊びに行きたいなんて思わない。花や太陽を見たい。もし身体が良くなることがあれば、町の中を走り回ってみたい。何のために生まれてきたのか分からない」と語ってくれました。

私たちは、ものすごいショックを受けました。これが、たった一度きりしかない人生でしょうか。これが、何物にも代えがたいかけがえのない人生でしょうか。

私たちは、当時、居住型施設に入所している障害者の生活の様子にも疑問を感じていました。一部屋四人から八人の生活、何歳になっても集団での生活、自分一人の空間は皆無に等しいのです。何時も誰かと一緒の生活は、プライバシ-なんて別世界の出来事です、障害者は人を好きになるな、結婚なんてとんでもない、そう言われているような生活に見えたからです。

私たちは、一般的に当たり前の生活と思われていること、学校へ通い、地域で暮らし、働き、人を好きになり、結婚する等は、重度の障害者にとっても、当たり前のこととして実現できる世の中であってほしいと考えています。この世に生を受けた限り、同じ人間なのですから。

働くことを生活の柱に

この現状をどうすればいいのか。私たちは考えました。必死に考えました。世の中が悪い、と言うのは簡単です。では、その世の中をどうすれば変えることができるのでしょうか。私たちは、原因は障害者自身の側にもあると考えました。もう少し正確に言えば、障害者とその家族、そして関係者の側にあると考えました。

何故ならば、当事者が声を大にし、具体的な行動を起こさない限り、問題は解決しないからです。「かけがえのない人生を人間らしく生きたい」と、何故言えないのでしょうか。「どうして、我々は何時までも大部屋なのだ」と。

私たちはそう言えない原因は自信がないからだと思いました。障害者は自分に自信がないのです。親は障害を持つ子どもに自信がないのです。関係者も同じです。では何故、自信がないのでしょうか。どうすれば、自信を持つことができるのでしょうか。

私たちが出した結論は、「働く」ことでした。例えば、一緒に暮らしている甥や姪は一日中家にいて、テレビを見たり、本を読んだり、日がな一日家でごろごろしている姿を見れば、「お父さんやお母さんは働きに行っているのに、叔父さんはどうして遊んでばかりいるの」と見るのは当然です。

どんなに理解がある家族でも、何時もいい顔ばかりはできないでしょう。時には、皮肉が口をついて出るかも知れません。そんな生活から、自信が生まれるでしょうか。そんな生活から、周囲の人の障害者に対する理解が深まるでしょうか。

私たちは、どんなに障害が重くとも、働くことを生活の中にしっかりと位置づけなければならないと考えるようになりました。朝、「行ってきます」と家を出て、夕方「ただいま」と家に帰る生活はごく当たり前の生活です。生活の糧を得るために働くのも当たり前のことです。この働くという当たり前のことを障害者から奪ってしまうことが、その他の当たり前のことまで奪ってしまうことにつながってしまいます。

確かに、心身に障害があるということは、仕事をする上で様々な支障があるかもしれません。しかし、大事なのは現実に困難さがあるから働くことをあきらめるのではなく、どうすれば働くことができるようになるかを考えることだと思います。

人類が働くことを通して進歩してきたことを考えても、働くことは人間にとって最も基本的な権利であり、人間として生きるために必要な活動であるといえます。

働くことができれば、職場では働く仲間ができ、通勤途上でも多くの人と出会います。仕事を通して外部の人との接触も生まれます。しっかり生きていれば、少々歩く姿が不恰好でも、少々応対がぎこちなくとも、生産が少々劣っても一人の人間としての障害者を理解してくれるはずです。

作業内容は、自分たちの努力が表われるものにします。

私たちは、働くということは、より良いものをつくるために、より付加価値の高いものを生み出すために全力を尽くすことが基本だと考えています。その結果として、報酬が手に入り、生活を維持することができます。自分も含めて、少しでも人のために役にたっているということが、自信につなかるのだと思います。働くということは、遊びではないのですから。

私たちは、原則として下請けの仕事はしません。下請けは、いくら努力しても出来上がりが自分たちの製品とはならないからです。自主製品は自分たちでいろんな工夫ができます。工夫の結果は製品の出来上がりに反映します。工夫が足りなければ、製品を買ってもらえません。しかし、独自の特色が出せれば少々値段が高くても、喜んで買っていただけます。

確かに、自主製品づくりにはいろんな不安があります。責任は全て自分たちにあるので、売れる製品を作らなければたちまち行き詰まってしまいます。でも工夫の可能性は無限です。みんなで本気になって知恵を出せばいいのですから。私たちは、また自分たちの努力の成果で、多くの人とつながることが大事だと考えています。

私たちが出した結論は、「働く」ことでした。例えば、一緒に暮らしている甥や姪は一日中家にいて、テレビを見たり、本を読んだり、日がな一日家でごろごろしている姿を見れば、「お父さんやお母さんは働きに行っているのに、叔父さんはどうして遊んでばかりいるの」と見るのは当然です。

はらから福祉会が、多くの人と知り合い、その協力でここまでこれたのは、各作業所の自主製品(はらから焼き、はらから豆腐等)が媒介したものだと思います。

一つの製品を作るために、みんなで力を合わせる。一つの製品を売るために、みんなで力を合わせる。出来上がりが悪かった時の落胆。売れた時の喜び。最初から最後まで自分たちの責任。自主製品づくりには、いろんなドラマがあります。だから、楽しいのです。

作業所の役割は付加価値の高い仕事を、障害者ができるようにすることです。

作業所は、障害者が働くことを通して、自らに自信を生み出す所です。従って、作業所は障害者が一日をただ漫然と過ごす所ではありません。楽しく過ごすだけではだめです。就職できない障害者が、一日を全力で仕事に打ち込む所にする必要があります。

就職できないのは、障害者に働く力がないからではありません。障害者に、働く力はあるのです。事業所が要求するだけの水準に達していないだけです。

そういう考え方からいえば、作業所の職員(指導員)の仕事は明確です。身体的に障害がある人、情緒が不安定な人、こだわりが強い人、判断力の低い人等がきちんとした仕事ができるようにすることです。その上で高い収入が保障できるようにすることです。仕事ができない理由を並べ立てることではありません。仕事ができるようにするための手立てを考えることです。

仕事をできるようにするということは、事業所が要求するような一定の水準まで引き上げることではありません。落ち着いて、仕事に打ち込めるようにすることです。生き生きと仕事に取り組めるようにすることです。障害の特性に合わせて。誰にも、できることとできないことがあるのですから。

私たちはそのために自主製品にこだわってきました。失敗を繰り返しながらも、これが「はらから」の製品ですと胸を張って言えるものをつくるために努力してきました。障害者が作業の主体となるようにがんばってきました。

今、少しずつその成果が表われてきたのではないかという感じがします。はらから焼き(陶器)はいろんな所で使っていただいております。何年にも渡って卒業記念品にしている高校もあります。少し歪んでいるけど味があっていいと愛用してくれる方も増えてきました。はらから豆腐は昔ながらの豆の味がするという評判で、多くの方に食べていただいています。

はらから焼きとはらから豆腐は、数えることができない位の人と私たちを結びつけてくれました。では、何故、こんなに多くの人がお金を出してはらからの製品を買ってくれるのでしょうか。私たちは、製品にはらからならではの特徴があるからだと考えております。それが付加価値を生み出してくれているのだと思います。

仕事の評価は、出来高や生産性では評価しません。

作業所で働く障害者は、一般的に見れば仕事をする上でいろんな問題をかかえております。そのために一般の事業所で働くことができなかったのです。仕事の評価を出来高や生産性で測るということは、企業的な基準を作業所に持ち込むことになります。それでは作業所はミニ企業になってしまいます。

作業所は一人一人の仕事量が大事なのではなく、みんなの力をどうすれば一つの大きなものにできるかが大事なのです。全体の仕事量が大事なのです。人間を仕事ができるかできないかで選別するのではなく、それぞれが持っている個性をまとめあげ、大きな仕事をすることが目的なのです。できないことは補いあえばいい。得意な分野はまかせればいい。誰しも得手不得手はあって当たり前なのですから。

はらから福祉会では、仕事の評価は出来高や生産性は関係ありません。現在自分が持っている力をどれだけ出し切ったかで評価します。評価したいと考えております。

仕事をできるようにするということは、事業所が要求するような一定の水準まで引き上げることではありません。落ち着いて、仕事に打ち込めるようにすることです。生き生きと仕事に取り組めるようにすることです。障害の特性に合わせて。誰にも、できることとできないことがあるのですから。

陶器づくりも、豆腐づくりも共同作業です。誰かがどこかで、手を抜けば、それは必ず製品に悪影響を及ぼします。競争ではなく、協力が大事なのです。何人かのすぐれた働き手ではなく、全員のやる気が必要なのです。製造の途中で一人でもいい加減ことをしては駄目なのです。

だから、はらから福祉会は仕事に一生懸命打ち込めば、評価は同じなのです。

仕事ができないでいる人こそ、作業所にとっては大事な人なのです。

情緒不安やこだわり、身体の不自由、さぼりぐせ等いろんな理由で仕事ができないでいる人がいます。作業所の評価はそういう人がどういう扱いを受けているかで決まります。彼らが怒られたり邪魔にされているとしたら、そこは駄目な作業所です。

何故ならば、そういう状態だから作業所にきたのであってそうでなかったらもうとっくに就職しています。彼らこそ作業所にふさわしい人なのです。作業所にとっては大事な人なのです。

もし、彼らが何時までも仕事ができないでいるとしたら、それは彼らが悪いのではなく作業所に問題があるのです。職員に力量がないから、彼らが伸びないのです。もし、彼らを怒るなら、怒ることできり指導できない自分の未熟さを詫びながら、涙を流して怒らなければなりません。怒鳴ったり、叩いたり、外に出したり等はもってのほかです。

人はみんな自分の力を出し切りたいと思っています。精一杯がんばって仕事をして、認めてもらいたいと思っています。誉めてもらいたいと思っています。ただどうしたらいいか分からないのです。

例えば自閉症の人のこだわりを問題にする場合がすくなくありません。確かに、強いこだわりは仕事に支障をきたすことが多いかも知れません。だからといって、叱るだけでは何の効果もありません。

こだわりを全て否定するのは、自閉症の人に、自閉症をやめろと言っているのと同じことです。やめられるものならやめたいと一番願っているのは本人自信でしょう。現実に、どんなに状況がきびしくとも、一人の人間として対処する以外方法はありません。そこを見失ったら、自らの人間性をも否定することにつながってしまうからです。

入所希望者は原則として全員受け入れます。

はらから福祉会の作業所は、はらから福祉会の趣旨に賛同し、入所を希望する人は誰でも受け入れることにしています。定員が一杯だからとか、障害の程度で断ることはしません。受け入れた上で、どうすれば仕事ができるようになるかを考えることにしています。

それは、はらから福祉会の作業所ははらから福祉会の会員全員のものだからです。定員が一杯でと新しい人を断ることは、古い所員の既得権を認めることになります。作業所を必要とすることではみんな平等です。私たちがしなければならないことは、断ることではなく、希望者を全てうけいれることができる方法を見出すことです。

知恵を出し合えば方法はあります。要はやる気があるかないかだけです。希望者全員を何時でも受け入れることができるようにするには、まず第一に、いつも社会との接点をもって、働く力がついた所員は就職させることを念頭において努力することが必要です。

第二には、作業所の規模拡大と新しい作業所の建設を視野に入れて、準備しておくことです。

第三は、最悪の場合です。第一の方法も、第二の方法も間に合わない時、施設的に限界で全員が一斉に仕事をすることが困難ならば、全員が平等に作業所を休む日を一日増やして、急場をしのぐやり方です。

いずれにしても、誰かにしわよせを及ぼすやり方はしてはいけないのです。

その他にも、作業所の設備や人手にも限界がありますから、対応では必ずしも一人一人が十分に満足いかないことがあります。そこを認めた上で希望する方は受け入れることにしています。

はらから福祉会の作業所に入所した障害者とその家族は、自分たちの要望をどんどん出して、それが実現するようにがんばればいいと考えています。誰かに自分の未来を託すのではなく、自分で切り開くことが大事です。

親の会をつくり、特別にいろんなことをお願いすることはしません。

はらから福祉会は、障害者の自立と社会参加を目指しています。自立の第一歩は親からの独立です。一般的には二十歳になれば成人として独り立ちです。障害者も例外ではありません。例外にしてはいけないのです。いろいろ問題はあったとしても、いろいろ不安が多いとしても、意識して親は離れる努力をする必要があります。

障害者は一人の人間です。独立した人格を持つ一人の人間です。現実に、様々な援助を必要としても独立した存在です。他の多くの人と同じように。この基本だけは忘れたくありません。働いて自立するために、はらから福祉会の作業所にきているのですから、はらから福祉会が親の会をつくらないのは当たり前のことです。

私たちは、はらから福祉会の活動には、障害者の親を必要としないと言っているのではありません。反対に、親は大事な存在です。特に、物言えぬ重度の障害児者にとっては、とりわけ大事です。障害者が人間らしく生き生きと生活するために、何が必要で、何が障壁になっているのか、障害を持つ子どもの代弁者にならなければいけないと思うからです。

そのことと、親の会をつくり特に何かをすることとは違います。親もその他の多くのはらから福祉会の会員と同じように、一会員として、できる範囲で会の目的に向かって力を合わせてがんばればいいだけです。

最後に。

以上、はらから福祉会の考え方を述べてきました。

どんなに障害が重くとも、人間らしく生きたい。これは人間として当たり前のことです。しかし、現実はどうでしょうか。障害者だから仕方がない、障害が重いのだからあきらめろ、障害者のくせにそんなことはぜいたくだ、こんなことがまだ平然と言われています。

人間らしく生きるとは、特別なことではありません。ごく当たり前のこと、学校へ通い、地域で暮らし、遊び、働く、好きな人ができたら結婚し家庭をつくる等です。こんなことが、障害者だからといってあきらめなければならない世の中は、どう考えてもおかしい。たとえそのことを可能にするために、どんなにお金がかかろうと、そんな社会はどこかおかしい。私たちはそう思います。当たり前のことなのですから。

私たちは、働くことを生活の柱に据えることで、人間らしく生きたいという障害者の願いを実現したいと考えました。一人の例外もなく、仕事に全力で取り組むことできたら、きっと人生に充実感が生まれると考えました。働くことで少しでも生活の糧を手にすることができたら、きっと自分に自信が生まれると思いました。自分に自信があれば、この世の中胸を張って生きられると思いました。

だから、私たちは働くことにこだわってきました。自分が打ち込める仕事にこだわってきました。どんなに障害が重くとも、働くことを視野に入れるべきだと主張してきました。

かけがえのない人生、人間らしく生きたい。これは、みんなの願いです。私たちが障害者問題に力を注いできたのは、障害者問題が決して障害者だけの問題ではないからです。

私たちは、生まれた時、自分では寝返りもできない重度の障害者です。その後、育ちの中で障害を克服していきますが、老齢になるとまたいろんな障害を持つようになります。私たちは障害者として生まれ、障害者として生を終わることになります。

障害者が生き生きと暮らせる世の中は、全ての人にとって生きやすい世の中です。そのために「はらから」の輪をもっと大きくしたいと思います。

カテゴリ:私たちの理念 2012/07/03

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